【参加者レポート】第7回 縁起でもない話をしよう会
【参加者レポート】
最期まで幸せに生きるために何が必要か
category - イベント参加 2019/ 07/ 10
恒例で参加して参りました鹿児島市内の妙行寺主催の「縁起でもない話をしよう会」。
今回の話題提供者は医師の森田洋之先生でした。森田先生は一橋大学の経済学部を卒業後に医師になられたという異色の経歴をお持ちです。
森田先生は2007年に財政破綻に陥った夕張市の診療所へ2009年より勤務され、後に診療所所長も務められた経験もなさっています。
財政破綻の影響で市内の病床数が117から19床へと激減し、市内にはCTもMRIも一台もなく、救急車を呼ぼうものなら平均で1時間以上かかってしまう状況へと急遽追い込まれた山間の過疎地域で何が起こったか、
その現場で驚きの事実を目の当たりにし、その実情を自身の経済学部出身の背景を活かしてデータをまとめ上げ、
私達にとって医療の将来を占うような非常に示唆深い話を様々な場所でなさっている先生です。
そう、今回森田先生が投げかけた縁起でもない話のテーマは「医療崩壊」についてでした。
実は森田先生のお話を一言で表現するならば、「夕張市の財政破綻が導いた現象は医療崩壊ではなく、医療の再構築であった」という内容なのですが、
そのお話を象徴的なスライドと親しみやすい語り口でわかりやすく伝えて下さるのが、森田先生のすごい所です。
医療崩壊したかに見えた、2007年の財政破綻後の夕張市の医療状況は救急車の出動要請が半分に減ったにも関わらず、
死亡率は財政破綻前後でほぼ不変で、医療費は減少し、施設看取りが増え、死因に老衰の割合が増えたのだそうです。
それはなぜなのかと言いますと、一つ大きな可能性として考えられることとして、行きたくても病院に行けない状況に追い込まれたことによって、
地域の人々の中にまずは自分達の力で何とかしないといけないという強い気持ちが芽生えたということ、
また森田先生の前に夕張市で診療所所長を務められた村上智彦先生が、病院へ入院しなくとも地域の中でそのまま病気を支え、それぞれがその人らしく生きられる訪問診療や介護との連携システムを構築されたということ、
その結果、地域の人達がたとえ治らない病気になったとしても、最期まで夕張市で生き抜きたいという強い意思を持てるようになったことが考えられます。
まさに私が提唱する主体的医療への転換が、若干の荒療治ではありましたが、実行に移されたケースであるように私には思えました。
夕張市のデータはある意味で、病院があろうとなかろうと救急車を呼ぼうと呼ぶまいとトータルの死亡率は変わらないと、
言い換えれば病院医療は健康寿命を延ばすことに有意な貢献ができていないという、医療者にとっては大変手厳しい直視しにくい事実を突きつけられているようにさえ思えます。
医療崩壊というとお先真っ暗で、これからは私達は必要な医療が受けられず苦しみながら生きていかないといけないネガティブなイメージを持ちがちで、
国から2025年までに全国で120万床程ある病床のうち20万床を減らすという政策が打ち出されても、私達にはどうしようもないからと誰かが解決してくれるのを祈るくらいで、そうした話題に触れることを避けがちですが、
実は医療崩壊を考えることは医療の再生を考えるきっかけとなるかもしれないという、縁起でもないようで実はポジティブな将来を考えるきっかけとなる場であったように思います。
森田先生の講演の内容の詳細は以下の森田先生の著書にも丁寧にまとめられていますので、興味のある方は是非お読み頂ければと思います。
また森田先生は2014年にTED×Kagoshimaというプレゼンテーションの舞台でも発表なさっており、その模様はYouTubeで観ることができます。森田先生の講演を聞かれたことがない方はよければこの動画でその雰囲気を是非観て頂ければと思います。
私が森田先生の存在を初めて知ったのは、まさにこのプレゼンからでした。
それから時が経ち、2017年4月より私も縁あって鹿児島に赴任することになり、
さらに運のよいことに私が非常勤でお世話になっている鹿児島市内の病院で森田先生と直接出会う機会にめぐまれて、
そこから何度か交流を重ね、プライベートな相談までさせて頂ける関係となることができました。
繰り返すようですが、夕張市での一連の出来事は医療において主体性がいかに大事か、言い換えれば「自分らしい選択をして生きること」がいかに大事かという事を大きな説得力を持って示しており、
私にとってはそれでいいんだと大きく背中を押してくれる想いがして、このタイミングで森田先生と出会えて直接お話が聞けたことはとても幸運なことでした。まさに合縁奇縁の心持ちです。
森田先生は夕張市に見習う、私達が最後まで幸せに暮らすための3つの条件を挙げられました。
①きずな貯金
②市民の意識改革
③生活を支える医療・介護
期せずして財政破綻に陥ったことをきっかけにし、自分で何とかしないといけないという健康管理意識が市民に芽生え、
村上智彦先生というカリスマがそうした市民の生活を支える医療・介護を中心としたシステムを構築したことに加え、
もともと夕張市にあった強固な地域住民どうしのきずな、つながりがあったが故に、
その結果、夕張市民の皆さんは最期の最期まで自分らしく生きることができるという事実があるのではないかと投げかけられました。
確かに不幸中の幸い的に様々な条件に恵まれて、夕張市は奇跡的な医療再生を実現されたように思えます。
ただ同じことを日本の他の地域、あるいは日本全体へ適用するとなれば、それはそのまま当てはめることがはたしてできるでしょうか。
国民の中での病院への依存心は現時点でとても強固なものがあります。昔は8割在宅看取りだったものが、今や8割以上が病院で亡くなっているという事実からもそのことはうかがえます。
いわば病院依存症という病気に社会全体が罹患しているようなものだと思います。
病院から離脱しなければならないことはわかっていても、ニコチン依存症でゆっくりタバコを減らすと最初はうまくいくようであっても、途中で十分に吸えないストレスから一気に吸う本数がぶり返して増えるように、
夕張市を見習ってゆっくり病床数を減らそうとした所で、一定のところまで減らした時点で国民は耐えきれずにまるで離脱(禁断)症状のように再度病院を増やすよう求めてしまうのではないでしょうか。
さりとて、夕張市のように財政破綻して一気に病床数を減らすようなことを意図的に再現することは、それはそれで国民から猛反発を受けることでしょう。
そうすれば私達は夕張市のような理想に向けてどのように動けばいいのでしょうか。
そのことを森田先生に質問してみました所、森田先生からは「たとえ病床数が減らなくても、国民の意識を変えることはできるはず。目的は病床数を減らすことではなく、国民の意識を変えることだから、そのために私達一人ひとりが何ができるかを考えるべき」との非常に意義深いコメントを頂きました。
たいそう盛り上がった今回の縁起でもない話をしよう会、議論は尽きませんでしたが、最後の「国民の医療への意識を変えるために私達一人ひとりに何ができるか」に関しては、それぞれが持ち帰って宿題として考える流れとなりました。
私にとっては主体的医療を普及させるためにはどうすべきかという、今まさに私が直面している課題に通じているかもしれません。
オンライン診療クリニックを開業するというのは私の答えの一つですが、他にも私にできそうなことがあるように思います。
この問い、宿題として引き続き考えてみたいと思います。
読者の皆様もそれぞれの立場で何ができるか考えてみられてはいかがでしょうか。
たがしゅう
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