【開催レポート】第一回縁起でもない話をしよう会@大阪
【主催者レポート】
縁起でもない話をしよう会@大阪、無事に閉幕しました!!
大阪での開催は初めてですが、それ以前に主催者がイベントの企画なんかやったことがなかったため、完全に予測不能、どうなるやらわからない玉手箱状態だったのですが、ふたを開けてみれば50名を優に超える参加者で会場は満堂になってしまいました。
参加・お手伝いして頂いた方々には足を向けて眠れません。
本当にようこそのお越しでございました。ありがとうございました。
さて、本日の「縁起でもない話をしよう会」では、まず日本人の一般的な「死」にまつわる問題の認識や、その変遷について平野先生からお話頂きました。
これまでは社会の現代化によって、「死」に触れるあらゆる機会が減少し、日常のトピックとしてもタブー化されていた面が強かったのが、『おくりびと』や『千の風になって』などのヒットによって、再び認識の表層に「死」や「死に方」、そして「生き方」への問いが現れるようになって来たのです。
しかし、実際に死に直面することの難しさは、医療者に取っても宗教者に取っても依然変わりなく高いハードルになっていると言えます。
これほどまでに「終活」と言う言葉がはやっても、やはり「死」は「縁起でもない話」と言うくくりの中にあって、特に若い世代に取っては「まぁそのうち……」と流されてしまいがちです。
実際、親しい人の死に触れる時、私達の心は大きく揺らぎ、そして傷付きます。
そこには大きな悲嘆、グリーフが生じます。
それと同時に、そこには死に至るまでの、そして死後も在り続ける「物語」の存在に気付くきっかけにもなりえます。
「いのちの物語」は、「死」と言う場面転換が契機となって、より鮮やかに描き出されるようにもなるのです。
それはつらくもあり、また豊かなことでもあります。
「私も、あなたも、みんないつか死ぬ」と言う事実。
それだけでは漠然とした不安だけが広がって、なんだか話題にするモチベーションが沸いてこないような気がします。
「そんなことは誰でもわかってる。今その話をしても仕方ない」となってしまいますよね。
だからこその【縁起でもない話をしよう会】なのです。
「死への意識」「グリーフ」「死に直面することで生じる変化」そして「医療者の役割」「本人・家族・地域の人々の役割」について、会の前半では平野先生から教えていただきました。
まさにこうして漠然とした「縁起でもない話」に、具体的な輪郭を与えていただいたのかなーと思います。
そして後半では、いよいよ参加者同士の「縁起でもない話」が始まります!
テーマは「最後の晩餐、なに食べたいですか?」と「もし自分自身のお通夜に参加できるとして、あなたは『どんな人だった』と語られたいですか?」の二つ。
3人~4人のグループを作って、まずは自己紹介。
そして、各々の思うところを自由に語り合っていただきました。
するとまぁ、聞こえる聞こえる、方々から笑い声。
さっきまで難しい顔をしていた方が、みんな豊かな表情で、実に生き生きと色々なお話をして下さっていました。
皆さん、すっかり会の主旨を忘れてしまっているようです(笑)
そうです、この会は「縁起でもない話をしよう会」!
今回のテーマは「縁起でもない話って、やってみたら意外と楽しいよねー」と言うことに気付いていただくことだったのです。
でもこれは、ある意味当然のことなのかも知れません。
「最後の晩餐」を何にするかと考えるときには、必ずそこに「自分の生きてきた中での経験、物語」が現れ出てきます。
そして「自分自身のお通夜で語られる自分」を考えるときには、むしろ「いまの自分の生き方」が現れ出てきます。
そして、それらはどちらも「希望」の話です。
例え、死に臨んでいたとしても、それは「希望」で在り続けます。
「縁起でもない話」は「生きる希望の物語」と表裏一体なのかも知れません。
そんなこんなで、語り足りなかった方々で懇親会へ。
こちらも大いに盛り上がりまして、非常にありがたい時間となりました。
地鶏美味しかった(笑)
また近いうちに次回「縁起でもない話をしよう会」を企画いたします。
規模や場所、御講師や話題などがどうなるかはまだ未定ですが、必ず開催いたします。
どうぞ今回参加された方も、見送られた方も、次回の「縁起でもない話をしよう会」をお見逃しなく!!
ありがとうございました!
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